依存症対策法案に対する私見

平成29年2月1日
株式会社セントラルカンパニー
代表取締役社長 力武一郎

昨年末にIR推進法が施行されたことを受けて政府はギャンブル依存症の予防や相談体制などの対策を盛り込んだ「ギャンブル依存症対策基本法」制定の検討に入った。
一連の流れが凄まじく早く、IR実施法の法制化に向けて世論の厳しい批判の矛先にある依存問題をなんとかクリアしたい意図が見て取れる。

われわれパチンコ業界関係者にとって看過できないことは、そもそも「遊技」という区分された娯楽であるはずのパチンコが、公営ギャンブルとともに一括りで議論されることだ。かけ金が青天井のギャンブルと風営法のもとで様々な規制を受けながら営業を営むパチンコは明らかに異なり、「パチンコは遊技であってギャンブルではない」という我々の存在の根源にかかわる部分が曖昧に扱われていて危うさを覚える。
この点は遊技業界が真っ先に主張すべきことであろう。そして、“依存症”という言葉はそもそも医学的エビデンスのない言葉である。世間で平口に語られ、いつの間にか独り歩きした言葉が定義されつつあることにも言及すべきである。

パチンコ業界に依存問題が横たわる背景は遊技台の射幸性がその要因である。
勿論、われわれホール側にも運営するうえでの射幸性への配慮は存在するが、遊技台そのものの射幸性に比べれば軽微である。
私が業界に足を踏み入れた30年ほど前、ぱちんこ依存はまだ社会問題化していなかった。新台入替は年に1~2回しか行われず、ファンにとっては希少価値の高いお祭りみたいなものであった。内容もハネモノと呼ばれる台が中心で、文字通り適度な射幸性を楽しむ大衆娯楽の世界があった。遊技人口は3千万人以上。大人の男は、嗜みとしてほとんどがパチンコをする良き時代だった。
それが変容したのが20年くらい前からである。初当り確率が遠くなり、業界用語でいう所謂TY、一回の大当たりで獲得できる出玉の期待値が大きくなって、パチンコの遊技は一変した。パチンコ店は、遊技場から鉄火場へ様変わりした。お客様は朝早くから列をなして目は血走り、命懸けで行うような特異なものに変容した。実際、お金が無くなると近くの消費者ローンに行くお客様の姿が散見された。私は商売として儲かってはいたが、何か違和感を覚え、それを払拭することができなかった。
そんな時にドラッカーのマネジメントを読んだ。「故意であろうとなかろうと自らが社会に与える影響については責任がある。いかなる理由も言い訳にならない。遅かれ早かれ、社会はそのような影響を社会の秩序に対する攻撃と見なす」RSN(ぱちんこ依存問題相談機関リカバリーサポート・ネットワーク)をつくった者の一人として、「力武さん、よく現在の状況が予測できましたね」などと言われることがあるが、何のことはない、ドラッカーの言葉を信じただけだ。だが、今まさに社会がパチンコ業界に社会秩序を乱す者ではないかと怪訝な眼差しを向けている。

パチンコの射幸性が桁違いに上がった頃、明らかにパチンコにのめり込んだ人達の存在があった。怒りを抱え、パチンコで借金を取り返そうという間違った思いに囚われていた。しかし、時を経て、ぱちんこ依存の形態は変わった。
もちろん、のめり込んだ人の姿もあるが、ワンデーポート(全国初のギャンブル問題支援施設)の中村代表が指摘しているように、現状の依存問題には、軽度知的障害や自閉症スペクトラム障害など、さまざまな姿がある。
パチンコは手軽に遊べる娯楽であるだけに、そのような方との親和性が高い。先月、あるパチンコホール経営者と話す機会があった。若い男性のお客様から「私はパチンコをどうしてもやめられない、どうか出入り禁止にしてほしい」と懇願され、困った店長から相談があったそうだ。私には、その方が軽度知的障害ではないかと思われた。
依存問題に苦しむ当事者や家族の為にも、パチンコ独自の依存問題対策の視点が不可欠である。

私が依存問題に取り組みだした2001年当時、ワンデーポートと相談してポスター掲示を行った。その時のコピーが「パチンコは適度に楽しむ遊びです」今でもRSNのポスターに使用されている言葉である。私はこの言葉にパチンコのあるべき姿が集約されていると思う。“適度”であることが、パチンコが社会から存在を許容される絶対条件である。
私たちパチンコホールは、遊技台そのものの射幸性をコントロールすることができない。20年間見てきて、遊技機メーカーがそれを適度にコントロールできるとも思えない。それは、好ましい射幸性と思える時期が過去に何度かあったにもかかわらず、遊技機メーカーは射幸性を上げ続け、看過できなくなっては行政指導が入ることの繰り返しだったからだ。
そして最終的には、エンドユーザーであるお客様にそのしわ寄せがいく。今こそ、パチンコ業界には節度あるビジョンが必要だ。遊技台の射幸性を適度にコントロールするには、依存問題の観点から“こういう遊技台は好ましくない”などと提言できる依存問題の専門家による外部団体が必要である。

個人的に現在の遊技台の問題点として思うところがある。パチンコファンがヘビーユーザー化した一つの要因として、いまの遊技台の作り方の基準が長時間遊技を前提にしていることである。
ぜひ、サラリーマンが仕事帰りに短時間で気軽に遊技できる機械基準にしてもらいたい。私はこれまでパチンコの歴史を見てきた一人として、メーカートップに責任を自覚してもらいたい。彼らに社会に与える影響に対する思慮深さや真摯なるものを残念ながら私は感じてこなかった。彼らはホールが射幸性の高い遊技台を欲しがるからつくったと言い訳をするだろう。
しかし、川下で営みを行うホールは、川上から大きな桃が流れてくれば、それを確保せざるを得ない。なぜなら、その存在が“適度”を許容範囲とするにせよ射幸性を生業とするからである。
私も依存問題に取り組みながらも、少々射幸性が高いと思われる遊技台も買ってきた。なぜなら、買わなければ隣の同業者のお店にお客様が流れ、店が潰れるからである。

私はパチンコ関係者として初めて、依存の現場に足を踏み入れた者として言いたい。当時、文字通りそこに一歩足を踏み入れることは針のむしろであったし、勇気がいることだった。ぱちんこ依存を起因とする一家離散、自殺、犯罪・・初めてGAのミーティングに特別に参加させてもらった時の衝撃は忘れない。少なくとも遊技機メーカーのトップ、あるいは大手ホールチェーンのトップは、オープンミーティング等で当事者の体験談を聞いてみるべきだ。自らが社会に与える影響の負の部分に直に触れてほしい。そこから、意識の変容が始まり、社会の秩序と整合性のとれるパチンコのあり方の議論が遅ればせながら、初めて始まる気がする。

私が依存問題に関わってきて個人的に良かったと思うことがひとつある、それは依存問題にかかわってしばらく経った頃だった。当時小学生だった娘が、泣いて帰ってきたことがある。聞けば、「パチンコ店の子どもなんかと付き合うな」と友達の親に言われたらしい。そのとき、とても悔しかったが、「パパは依存に苦しむ人を救う活動をしている。パパはパチンコ業界を良くする人だ」と自信をもって娘に言えたことだ。
私は仕事には誇りが必要だと思っている。依存問題に長い間、深くかかわってきたことは、少なくとも、私と私の家族にとって、また弊社の社員とその家族にとっての誇りである。

「情熱リーグCP篇」