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いまでも好き。でも、やらない
ギャンブル依存症をケアする「ワンデーポート」の取り組み。

(アミューズメント・ジャパンより)

 ギャンブル依存症者の患者同士が集まって、生活をともにしながら回復へのきっかけをつかむ。ギャンブル依存症の回復施設「ワンデーボート」に集う人たちは、みんないまでもパチンコ・パチスロが大好きだ。でも、なんとか「やらない生活」を取り戻そうと懸命に立ち向かっている。

言いっぱなし、聞きっぱなし

 横浜市瀬谷区。横浜駅から相模鉄道で約20分、瀬谷駅近くの1LDKのアパートの一室。

 朝10時半、仲間たちが部屋に集まってきた。デーブルを囲んでL字型に置かれたソファに座った4人の男性のうち、2人はこのアパートの2階の一室で生活している。他の2人は、毎日ここに通ってきている。対面して事務椅子に座った中村務さん(34)の司会でミーティングがはじまった。

 「でははじめます。ワンデーポートプログラム。ワンデーポートとは、毎日、グループセラピー(仲間と一緒にミーティング)を行っているギャンブル依存症から回復したいという男女の集まるセンターである…」

 中村さんが朗読しはじめたのは、「ワンデーポート・プログラム」と記された12ページ からなるA5版の小冊子だ。中村さんが一筋を読み終えると、中村さんの指名で次の男性 が後を受ける。男性は、「ギャンブル依存症の○○です」と名乗ってから、次を朗読し始める。

 一通り朗読が終わると、今度はA4版の小冊子「12ステップ」のうちのステップ3を 順に朗読する。それが終わると、中村さんが今日のテーマを決める。

 「今日は、これから何を求めていけばいいかのか、を考えてみたいと思います」

 はじめに、自らもギャンブル依存症であり、現在は「回復」している中村さんが話す。

 「何を求めていけばいいのか?自分は普通の生活がしたいとずっと思っていました。でもそれがなんだかよくわからなかった。『普通』とは何なのか。求めるものがわからなかった。お金?何が幸せか?今はミーティングがある。仲間の中に行く安心感がある。ギャンブルをやらなくてもいいんだと共感できる場がある。当時は何に向かって生きていたのか?刺激しかなかった。『やっちゃいけない』が『やめたい』という気持ちになったときに、はじめて生きていく方向性が見えてきた。プログラムを経験して、普通の生きた方がわかった…」

 他の4人は黙って聞いている。彼らはみなどこにでもいる普通の人だ。20代がひとり、他の3人は30代だ。みんな穏やかな表情をしている。でも眼差しは真剣だ。

 中村さんが話し終えると、次の人を指名した。

 「パチンコ・スロット依存症の○○です」 そう名乗って、自分がギャンブルをしていたときの思いを語りはじめた。

ギャンブル依存者の「居場所」

 「ワンデーポート」は現在日本で唯一のギャンブル依存症の回復施設だ。1999年9月に中村さんらギャンブル依存症者本人を中心に、その家族やAA(アルコホリックス・アノニマス)のメンバー、そして精神科医の岩崎正人医師(本号巻頭インタビュー参照)によって「ギャンブル依存症の回復を考える会」が発足。ギャンブル依存症者の居場所づくりについての話し合いがもたれ、その後物件を借り入れ、2000年4月にオープンした。

 定員は10名(宿泊施設は店員7名)で、施設というよりはギャンブル依存症者の「居場所」と言ったほうが適当だろう。ここではGA(ギャンブラーズ・アノニマス)の基礎を3ヵ月かけて学ぶ。ただし、3ヵ月居ればギャンブル依存症が治るというわけではない。

 ギャンブル依存症、アルコール依存症などと同様に完治することはない病気だ。彼らが「回復する」という言葉を使うことでもわかるが、回復しても、また「再発」する恐れが常に潜んでいる。3ヵ月というのはあくまでも回復プログラムを学ぶための期間と考えるとわかりやすい。その間、自分がギャンブル依存症であることを自覚し、回復するためのプログラムをここでは学ぶ。

 3ヵ月間のプログラムを終えた人は、ここを出て社会へ復帰していく。そして日常の中でGAなどに参加して、さらに回復を図っていく。

 GAとは、ギャンブラーズ・アノニマスの略で、ギャンブル依存症からの回復を願う人たちの共同体のこと。1957年にアメリカで誕生した。そのルーツはアルコール依存症からの回復を願ってアメリカで誕生し、現在では世界132カ国に約8万9000グループが存在するAAでは回復のための「12ステップ」を使い、依存症者たちが互いの経験や気持ちを話し合う「ミーティング」を核として活動している。

 AAのプログラムには「12ステップ」と「12の伝統」があって、会の運営の仕方などが決まっている(関連記事49ページ)。そのなかで一番大切なのは、参加するのは当時者だけということ。外部の医者が入るわけではない。そこにいるのはアルコール依存症者だけ。20年飲んでいない依存症者もいるし、昨日まで飲んでいた依存症者もいる。でも、そこにいる人たちはみな対等だ。20年やめ続けていた人は、昨日まで飲んでいた人の姿を見れる。それでまた助かる。昨日まで飲んでいた人は5年、10年、20年飲んでいない人を見れる。この人はなんで飲んでいないのかが見れる。お互いが鏡となり、自己を見つめ直す機会を与えてくれる。GAでもまったく同じことがあてはまる。

 GAの活動も基本的にはAAの12ステップに沿ったプログラムを使用している。ミーティングでは、お互いに「言いっぱなし、聞きっぱなし」で第三者が論評することはない。GAはアメリカを中心に世界的な広がりを持ち、1989年に日本に伝わった。日本ではまだ数は少ないが、現在全国で20グループが活動している。東京・横浜などでは毎日どこかでGAが開催されるが、地方ではまだまだ少ないのが現状だ。

 ワンデーポートの位置づけはGAを補完する役割といえる。どうしょうもなくなった人に救いの手を差し伸べ、GAへ参加して回復を図る道筋を示してあげる。施設名は直 訳通り「今日一日の港」を意味する。遠い将来を考えるのではなく、「今日一日を生きていこう」「今日一日だけは(ギャンブルを)やめよう」と頑張ることで、依存症を薄めていくのだ。「ポート(PORT)」は港の意だが、アメリカのアルコール依存症の本では「安全な港」と解されている。

パチンコからはじまった

 ワンデーポートの運営は支援者たちの寄付で賄われている。中村さんは現在、ワンデーポートで依存症者たちとともに生活をし、施設長としてここで収入を得て暮らしている。

 自身もギャンブル依存症者だった中村さんは、今ではその経歴を隠さず、ギャンブル依存症への理解を得るために新聞などのメディアの取材にも応じている。これまでにも全国紙や地方紙、医療専門誌などで度々取り上げられた。

 中村さんのギャンブル依存症の萌芽は、子供の頃にあった。父に連れられて行ったパチンコだった。その父がギャンブルで借金をつくって母を困らせていたのを見て、ギャンブルが「悪」でありながらも「楽しい」という相反した思いが形成されていった。

 高校2年の頃にはパチンコ店へ行くことが習慣になっていた。それでも、成績には影響がなく、推薦入学で大学へ入った。勉学に励むと燃えて入った大学だったが、大学生活に慣れてくるとまたパチンコに行く自分がいた。事業中でもパチンコのことが頭から離れない。そのころは大学近くの場外馬券売場に出入りしている人たちを「狂った人たち」「別の世界の人たち」だと思っていた。

 大学4年になる頃には学生ローンや丸井に加えて、消費者金融からも借金をするようになっていた。借金を返す目的で借りたお金も、またパチンコに消えていった。

 教職志望だった中村さんは、東京都の教員採用試験を受けたが、そんな状況では合格することもかなわなかった。それでも卒業間際になって、私立高校で国語科の非常勤講師の仕事が決まった。そのときは、大学生活から脱出し、教壇に立つようになれば、生活が変わると信じていた。教壇に立って、生徒を教えるようになり、しばらくはパチンコを忘れることができた。しかし、それもつかの間だった。「少しだけならいいのはないか」とパチンコ台に座ると、またやめる決心が吹っ飛んだ。そのころ、たままたパチンコで負けた後、場外馬券売場で初めて馬券に手を出した。退屈なギャンブルに思えた。でもまた翌週も馬券を買いに行った。競馬にのめりこみはじめた2学期になると、最初は「土日だけ」と決めていたパチンコに、平日も行くようになった。

 いつの間にか借金は膨れていった。非常勤講師以外に学習塾のアルバイトもした。そのうちに、新宿の歌舞伎町で非合法ギャンブルと出会う。テレビ麻雀やポーカーゲームだ。「自分はギャンブルにはまるような、そんな人間じゃない」「今にみていろ、一旗あげてやるから。」

 そのころの中村さんはそう思っていた。次第に授業にも身が入らなくなり、職場を放棄してしまう。

神様がくれた出会い

 その後は底なし沼だった。借金には問題を感じていたが、ギャンブルには問題を感じていなかった。お金を得るために、万引きをした家電製品を質屋に売った。それが判明して警察に逮捕された。2週間留置所に入った。その後はゲーム喫茶で働いた。日払いの給料を持ってまたギャンブルへ行った。5年前、ゲーム喫茶を転々とする生活が続いた。環境が変わればいいんじゃないかと、たまたま名古屋のゲーム喫茶で仕事の話があったので名古屋へ行った。名古屋では誰も知り合いはいなかったが、それでもパチンコ屋はあった。決して楽しくはない。でもやらずにはいられなかった。

 1ヵ月半くらいして、嫌になった。働く気もしないし、ギャンブルする気もしない。かといって死ぬ勇気もなかった。

「誰でもいいから助けてくれ」

 そう思ってたまたま本屋へ入ったときに、『アルコール依存症の治し方』という本を見つけた。1997年3月。それは、神様がくれた出会いだった。むさぼるようにその本を読んだ。アルコールをギャンブルと置き換えると、まさに自分のことだった。そこにはこう書いてあった。

「アルコール依存症は病気です。家族のためではなく、自分のために回復するプログラムがあります」

 すぐにアルコール依存症の自助グループに電話をした。そこでGAの存在を教えてもらって行ってみた。そこには自分と同じような人たちがいた。はじめて孤独感がなくなって、楽になった。

「今日一日、という言葉があります。明日やってもいいから今日だけやらずにいようと考えると、楽になれますよ」

 中村さんはそこでそう教わった。そして「今日一日」を積み重ねて5年間、ギャンブルのない人生を歩んできた。

 どうしてワンデーポートを作ったのか。中村さんはこう語っている。「アルコール依存症の自動グループはギャンブルに比べれば認知されています。私はギャンブルの問題でアルコール依存症の施設へ行って、ギャンブルをやらない人生を勉強させてもらった。そのなかで、毎日ミーティングをやって、寝止まりする場所があれば、もしかしたら僕とソックリな人がいて、助かるんじゃないか。そう考えるようになりました」

 いま、中村さんはこう考えている。「自分の病気を教えてくれたのは仲間だった」と。親や家族から説教されてもこの病気は治らない。しかし、同じ経験をした仲間の言葉は自分を励ましてくれる。「おまえもそうだったのか」という感覚。「オレもそうだったんだよ」という共感だ。

ギャンブルを批判したら回復はない

 ワンデーポートには、例えば1年間ギャンブルをやめている人は来ない。直前までギャンブル依存症と自覚せずに、ギャンブルを続けていた人たちが集まっている。ギャンブル依存症でどうにもならなくなった人の回復へ向けた第一歩は、まず自分はギャンブル依存症であると自覚することだ。ワンデーポートには、そのために支援してくれる仲間たちがいる。決して与えられるだけではない。自分も仲間たちに何かを与えることができる。

 ワンデーポートに入所する場合の費用は、家賃・諸経費を合わせて月額3万円。以前は6万円だったのが、この4月から中央共同募金会の支援を受けられるようになり、3万円で済むようになった。その支援のおかげで、さらに宿泊施設をもう1ヵ所設けた。通所のプログラムは無料だ。

 ここでは、午前10時半から12時まで、冒頭のようなミーティングが毎日持たれる。午後はアルコール依存症者の施設「横浜マック」などでのミーティング、そして夜は近くで行われるGAに出るといった活動が行われている。

 設立から2年が経過したが、これまでワンデーポートに入所した人は十数人に過ぎない。その多くは。GAの活動が普及していない地方から来る人たちだ。そのうち3ヵ月間いた人は半数。1ヵ月で出ていってしまった人もいる。ここを出てから回復を続けられているどうかは中村さんにも把握しきれていない。でも、うまくいってる人はその後もGAに出ているので様子がわかるという。

 中村さんは言う。ワンデーポートはギャンブルを批判するところではないと。

「依存症者は自分の問題を見ることが大切なのであって、ギャンブルを批判したら回復はないんです」

 そのうえで、パチンコ業界の人たちに、ぜひこの問題に耳を傾けて欲しいと願っている。

 「まず話を聞いてもらいたいです。今はまだ、ギャンブル依存症自体が、どこかでギャンブル業界を否定しているとか、あるいはギャンブルに反対するものだという意識があるようです。でも、そうではなくて、私たちがどういうことをやりたいのか、その声を聞いて理解してもらいたいんです」

 これだけパチンコに振り回された人生でも、パチンコにはいまだに愛着を持っている。そして、自分と同じような経験をする人が、こういう活動があることを知って、救われて欲しいと願っている。

 「パチンコを憎いと思う気持ちはまったくないですね。憎いというよりは、いまでも好きですよ。できないだけであってね」

 それでも、遊びでやろうかと考えるときはありませんか、とたずねると、きっぱりとこんな答えが返ってきた。

 「ないですね。遊びで命がかかっているというくらいに思っていますから」

ギャンブル依存回復の
ためのプログラム
(12ステップ)

これは回復のプログラムとして提示された
GAのステップである。

  • 私たちはギャンブルに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
  • 自分を超えた大きな力が、私たちの考え方や生活を健康なものに戻してくれると信じるようになった。
  • 私たちはギャンブルに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
  • 恐れずに、徹底して、モラルと財務の棚卸しを行い、それを表に作った。
  • 自分に対し、そしてもうひとりの人に対して、自分の過ちの本質をありのまま認めた。
  • こうした性格上の欠点全部を、取り除いてもらう準備がすべて整った。
  • 私たちの短所を取り除いて下さいと、謙虚に自分の理解している神に求めた。
  • 私たちが傷つけたすべての人の表を作り、そのすべての人たち全員に進んで埋め合わせをしようとする気持ちになった。
  • その人たちやほかの人を傷つけない限り、機会あるたびに、その人たちに直接埋め合わせをしようとする気持ちになった。
  • 自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。
  • 祈り黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを求め、神の意思を知ることと、それを実践する力だけを求めた。
  • 私たちすべてのことにこの原理を実行しようと努力を続け、このメッセージをほかの強迫的ギャンブラーに伝えるよう努めた。

※米国で作られたアルコール依存症回復のための学習プログラム「12のステップ」を改変・応用したもの。中村氏によれば「一人で本を読むだけでは理解できない。このステップに従って生活している人とミーティングで交流することで理解を深めることが自助グループの活動の意義」という。原文は米国で宗教を参考に書かれたものだけに、その影響が感じられるが、日本の自助グループでは「とくに宗教的なものは意識していない。信じられるものは必要だが、それはGAの仲間でもいい」という。

「情熱リーグCP篇」